Marschieren

Marching Coordinator 'twikk' によりマーチングに関することを中心に構成をしています。あなたのマーチング・ライフにプラス・アルファの輝きを♪

失われた”士”。

失われた”士”。

長かったと言えば長かったし、あっという間と言えばあっという間でした。

延べ、闘病期間は2年半でした。

 

発覚は2016年11月。『悪性リンパ腫』。

簡単に言えば、血液の癌です。もはや、全身に広がっている可能性を否定できない。そういう癌。

幸いにも全身転移は見られず、切除してから約1年後、今度は『大腸癌』発症。

S字結腸の周囲にぐるりとあって、極端に腸が狭まっているとのこと。

これが、まさに「ステージ4では済まされないレベル」だそうで・・・・・・。

 

2018年01月15日:『大腸癌』の除去手術のため、入院。

2018年02月08日:退院。通院治療へ。

2018年03月20日:分子標的薬の効果が望めず、IRIS療法による延命処置へ移行。

2018年03月27日:1人での食事がままならず、再入院。

2018年04月10日:消化器官の機能低下により、点滴にて栄養分の補給をするようになる。

2018年04月20日:退院し、2週間おきの検査通院が開始。

2018年05月21日:終活開始。

2018年08月02日:この頃より、味覚に異常を感じ始める。

2018年09月19日:消化器官の機能と食生活が一定レベルに回復。伴って点滴の終了。

2018年09月20日:カテーテルを左上腕から左鎖骨下へ移設。

2018年12月31日:家族宛に遺言の内容等の説明をし、終活一段落。

2019年03月05日:抗がん剤の種類を変更。この頃から、食べ物が喉を通らなくなる。

2019年04月02日:この日の抗がん剤投与を見送り。結果、翌週の投与も見送り。

2019年04月16日:訪問介護にかかっているクリニックで急遽栄養剤を点滴。

2019年04月22日:体調の回復が見られず、この1ヶ月強で12kg程体重が落ち込み、入院。

2019年05月10日:退院して抗がん剤投与の再開を果たすか、緩和治療への移行をするかの瀬戸際。

2019年05月20日:この日までに目指していた退院が適わず、ベッドの上で寝ている時間が増える。

2019年05月22日:身の回りのことに介護が必要な状態となり、病室の移動。

2019年05月29日:医師より状況説明。余命は1週間もないだろうとのこと。

 

翌2019年05月30日(木)

05時30分:病院より入電。危篤状態に陥ったとのこと。

06時45分:病院に到着。酸素吸入量が少なく、体温も高いものの、呼吸は安定。

09時00分:この頃より、時折呼吸の合間が1~3秒程度空くようになる。

14時30分:時折呼吸のリズムが乱れるようになる。

15時40分:下顎で呼吸をするようになり、吸うことに主力が置かれる。

16時00分:呼吸が目に見えて弱くなり、間隔も開く。

16時20分:臨終。

 

終盤は、段階的にではあったもののグングンと衰えていった印象。そして、父は亡くなりました・・・・・・。享年69歳。今のご時世では、”まだ若い”と言われる年齢で、彼の目指した88歳という年齢からは19少ない年齢で、苦しみを抑えながら、永い永い眠りに就きました。

この結果はかねてよりわかっていたことで、やはり僕には大きな感慨はありませんでしたが、呼吸のリズムが乱れたときに「焦ってるのか?」「落ち着けよ、大丈夫だから」と声を掛けると頷きながら呼吸を整えたりして、こちらの声をしっかりと受け止めていました。なかなか粘って、頑張っていたので、15時30分頃、僕は一声かけました。他に誰もいない病室で、2人きりの空間で、ただ一言。

 

「いいんだぞ、ちゃんと見てるから、伝えるから、自分のタイミングで逝っていいんだぞ」

 

この言葉が、正しかったかどうなのか、今となってはわからないし、確認のしようもないのですが、直後に、ただ一筋左目から涙をこぼし、そこから呼吸を収めていったことは事実。もっと元気付ければよかったのかもしれない、もっと勇気付けられればよかったかもしれない、もう少し生きていてくれとわがままを言っても良かったのかもしれない。見捨てるような、見放すような、こんな言葉をかけるべきではなかったのかもしれません。

でも、この言葉になりました。あなたと同じ”士”の字を持つ唯一の息子は、こんな体たらくです。

そして、いろいろな手続きやらに追われ、少し気持ちを張り詰めながら、日常を送っています。

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